備えを万全にして効率よく戦う
−−孫子の兵法こそセキュリティの要諦

元警察庁長官 山田英雄氏

 私は、騒ぐだけで何の対策もしないうちに日が過ぎるというのが日本人の現状、特質で、そういう意味で今回の池田小の事件も一過性でなく、本当に子供を守る安全対策をぜひ定着させてほしいと思っております。
どういう機器を使って学校の安全を確保するかが当面の問題でありますが、元来この事件は精神障害者による異常な事件である、したがって精神障害者対策が問題だと、当初小泉首相が的確にとらえていた通りであります。
 しかしこれには長い歴史があるのでして、警察も苦労してきたのですが、わが国ではすぐ人権人権と言い出す勢力があります。少年犯罪をとっても、外国は合理的ですから、凶悪犯は6歳でも10歳でも大人と同じように扱う。わが国ではようやく刑事責任を問える年齢を14歳から16歳に引き上げたという段階です。加害者の人権ばかりが主張されて、殺された被害者の人権は一切顧みられないのが現状です。
 精神障害者ですと刑事責任を問えず、刑罰は課せられませんが、外国では社会防衛のために保安処分が行われ、社会から隔離されます。ところがわが国では開放治療という考えが強くて、短期の措置入院だけで後は野放しです。そのため自傷他害のおそれのある精神障害者が市中に紛れ込んでいる。触法精神障害者を専門に入院させる施設をつくればいいわけですが、刑法改正の動きもないし、新しい病院をつくろうとすると、原発でも同じですが地域エゴなどもあってなかなか実現が難しい。
 打つべき手を打たないでいるうちに月日が過ぎると、事件の再発防止対策も忘れられてしまう。これを私は「週刊誌スパンの、短期に生きる日本人」と呼んでいます。ワイドショーや週刊誌が週単位で話題を提供し続けていないと過去のことになってしまう。その時々の事象に追われるその日暮らしで、1週間前のことは感じないし、1週間先のことは考えようとしない。
 オウムの事件も同様ですね。今ABC(原子力・細菌・化学)兵器は戦争でも禁止されていますが、あんな小さなカルトが、戦争でさえ使わないケミカル兵器を、世界一安全な日本の、東京の地下鉄という密閉空間でばらまいた。アメリカあたりではテロ団体の関係者は出入国禁止です。それを日本では「ああ言えば上祐」だとかなんだとかテレビが引っ張り出して面白がる。ああいう感覚は私には理解できません。しかも破防法の解散指定もしないで「破産宣告をした、財産も没収した。財産がないからもう破壊活動はできない」と。公安審査会のあの決定は全く馬鹿げています。
 その後、彼らは(活動を再開して)官庁にソフトを納入していた。これは実は大変な問題です。いったんソフトを納入したら、官庁のソフトが彼らの手に渡ったも同然なんです。これを恐るべきことだと感じない。つい最近、ロシアのオウム信者が麻原奪還テロを企てて逮捕されたというニュースを時事通信が配信しましたが、わが国ではほんの数社が小さく報じただけです。国民の関心が薄れ、もうニュース価値がないという判断なのか、とにかくオウムへの対応で日本は世界の笑い者になっている。
サリン事件の時、私の後輩である亀井(静香)運輸大臣が「地下鉄に防犯カメラをつけろ」と発言しました。正しいことを言ったと思います。ただし地下鉄の予算で、ということでこれでは結局つきませんね。イギリスなどはおそらく国の予算でしょう。至る所についています。プライバシーより社会防衛の観点を優先しているわけです。
 諺に「愚かなる者は自らの体験に学び、賢者は歴史、先哲に学ぶ」というのがあります。賢者になるには、池田小学校事件のような他人の貴重な体験を自分に置き換えて消化し、心の鍛練を繰り返さなければいけない。何事も、一度でも起きたことはまた起きるという前提で取り組まなければいけないのです。しかし、池田小学校のことも含めて、日本人には自分が直接被害を受けない限り真剣に考えないという一面が見られます。外国で時々日本人誘拐事件が起きますが、企業には誘拐対策が何もない。今や海外には75万人の日本人がいるにもかかわらず、企業戦士は裸同然です。
 さて、よく「危機管理」と言いますが、これはむしろ「管理危機」と言った方がより本質的です。特に上に立つものが危機感をもたなければいけない。ハードはできた。マニュアルはいっぱいある。セキュリティ機器が完備すれば効果的な対策が講じられると、ここで一安心したのではダメです。あるべき体制への持続的努力が重要で、この場合頭は要らない。ガッツと気概があればいいのです。そして大事なのは、責任のあるトップが常に関心を持ち続けることと、専従者をつくることです。
 わが国の刑法犯は15年前は160万件でした。去年は244万件で、今年はおそらくもっと増えるでしょう。全国の検挙率は15年前の63%が年々右肩下がりに悪くなって今や18%です。警察に危機意識が足りない観もありますし、何をやっているのだと言われて当然にも見えますが、警察は今、家庭内暴力から、猫の死骸の始末まで駆り出される。そういう馬鹿げた負担のために、肝心の犯罪抑制に動けない。
 イザヤ・ベンダサンという(架空の)人が「日本人は安全はタダだと思っている」と書きました。いざの時は警察が守ってくれると。その点英米ではセルフディフェンス精神が徹底しています。1986年の英国内務省の告示には「犯罪予防はコミュニティ全体の責任である」とあります。日本でここまで言ったら大騒ぎになりますが、不良外国人も増えていますし、警察を頼るだけではなく、地域の努力も必要な時代になったという認識はすべきです。昔の隣組、自身番のような考えです。ピッキングに対しては自分たちでパトロールし、そこに警察を呼んで意見を聞く。犯罪が倍々ゲームで増えるのですから、住民が主体的に、進んで自分たちの安全を守るという姿勢を示すようでないと物事はうまくいきません。
  学校の安全もそうで、子供を守ると言っても子供にだけ目が向いているのではなく、池田小の事件で分かるとおり精神障害者についての勉強も必要だし、対策もその場を繕うだけのものではダメだと、私は思います。
 対策はオーバーでなければいけないというのが私のモットーです。孫子に「良兵のよく戦うや◆◆もなく◆◆もなし」とあります。これは言い得て妙な言葉なんですね。情報を集め、徹底的に準備しておけばドンパチが不要になることもあるし、白兵戦でも誰が立派だったとかではなく戦略で有利に進められる。あらゆることについてスタッフが完全な準備をするのが「いざ鎌倉」に役立つ。準備に99%かけておけば残り1%は現場の努力で達成できる。「管理危機」の意味合いにおいても、常に準備、対策を忘れないことがこれからの日本には欠かせないと思うのであります。

(7月25日号より)

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