風の軌跡(91)

落葉の季節

イラクで殺された二人の日本人外交官の葬儀がテレビで放映されている。
とうとう日本人も狙われはじめたか、暗澹とした思いで釘付けになって見た。テロリストから見れば、ターゲットにされた人のアラブへの貢献度や仕事の業績、家族の慟哭の思いなどは一顧だに値しないのだろう。犠牲者は有能な人間ほど相手側に与える打撃の大きさでターゲットとしての価値は高くなるのかも知れない。好むと好まざるとに関わらず、対テロの戦争に日本も巻き込まれた。へっぴり腰でひるめばこちらの脆弱性に集中攻撃、ますます牙をむいてエスカレートするだろう。敵か味方か、食うか食われるか、1か0か、中途半端な日和見主義は通用しない。まさにデジタルの世界。
窓の外の桜の木がいつのまにか葉を落とし、数枚が枯れ枝にしがみついている。ほんのこの前までぎっしりと葉を付けて重たげな枝振りだった。一方、街路樹のイチョウの木々は最後の輝きの時、光の色に染められたような明るい黄色の葉が踊るように華やかに散って行く。木それぞれ、盛りの時も落葉の時も微妙に異なる。自然は多彩、黄色も紅葉の色も、よく見れば一葉一葉異なって、風に飛ばされた枯れ葉はさらさらと地上を、波のように走り、行き止まりでは風車のように舞っている。有り難いことに、人間世界のデジタル化は自然界には届かないようだ。

年末号、新春号と超多忙の時期になるが、その間に忘年会のお誘いや付き合いが入ってくる。楽しい酒席が少なくなった。
私達の年齢になると、お酒にも料理にも飽きていて美味探求の熱意はない。色恋の話はもっと飽きていて、酒を飲めが男女の話、とストーリーが決まっている人には、うんざりしてついつい悪酔いしてしまう。
4、5年くらい前までは話しても話しても飽きない飲み友達がいた。辛いことやぐちを言っても暖かく忠告してくれたり、冗談を言い合ってふざけた。どうしてこのようにつまらなくなったのか。周りを見回すと現役を引いた人か、年下の30、40代の人々。私達のように一つの組織の最終責任を負う立場の人は少ない。企画ものの達成責任はあっても結果責任はない。良い記事、良い雑誌を作った、とそれだけで満足して許された昔の自分は、色褪せた写真の1枚のように虚しい。私自身が変わってしまったのだろう。

官や民のトップが部下の不始末で深深と頭を下げる姿が放映されるが、責任を負うことの厳しさに涙ぐんでしまう。リーダーなればこそテロの対象になり、リーダーなればこそその人が深深と頭を下げる姿を大衆は求める。日和見大衆は諸刃の剣。様々な理不尽な出来事への辛さを癒してくれる落葉の季節に感謝。

戻る|(92)へ