風の軌跡(200)

LOVE OR CARE

 今にも泣き出しそうな、とベランダから空を眺めると、無数の小さな黒い生き物(小鳥でもなく、虫でもない)が飛び回っていた。
「何?あれは」
「トンボだよ」
 傍にいた人が声を上げた。確かに透き通った羽根を広げて、小さなグライダーのような形、5階、6階のビルの上を信じられない早さで我が物顔に飛び回る。
「何処から来たのだろう。あんなに大量に。
水辺があればトンボも生息するけれど、この街の中で…。ツバメが喜ぶだろうけど」
「明日はトンボを追ってツバメが集まったりして…」
 四川の大地震では、カエルが大挙して移動したとか。トンボの大乱舞にツバメまで参加して、飛び回ったら気味が悪い。連日、岩手・宮城内陸地震のニュースを見ていると、つい地震の前触れ、と妄想してしまう。中国の四川大地震には及ばないが、山が崩れ、道路が溶けたゴムのように途切れているのを見ると、人智の及ばない自然破壊の凄まじさを見せ付けられる。  

 一方、その前には、日曜日の昼間、秋葉原で無差別殺人事件が起きた。こちらのほうも凄まじい事件だが、そのやり切れなさが、天災と凶悪犯罪では、全く異なる。犯罪者に対する「許しがたい」という怒りは、どす黒い憎悪に似て、犯罪者の憎しみに感染されたようで、落着かない。
 犯人の生い立ちがマスコミで取りざたされるにつれ、厳しい偏狭な親の犠牲者とでも思えてくる。劣等感の強い親が、自分の能力不足で実現できなかった夢を、子どもに投影、良い学校、社会的評価の高い職業に就くように子どもを締め付ける。お前のために、と恩着せながら、裏返せば、勝ち組の「母」、または『妻、』または「身内」と言う立場で、劣等感から開放され、名誉欲を満たそうとする。 百人百様、人には夢があり適性がある。どんなに辛くても子どもは絶対的な弱者、強い者の操り人形になって、走り続けるより他にない。大人になると、その怒りが噴出するのだろう。  

 ずいぶん昔に『人が生きていくのに必要なものはLOVE OR CARE。愛する(愛される)者か、気遣いケアする人がいれば、孤独にならず生きていられる』と聞いたことがある。ラブもケアも人とのコミュニケーションから始まる。子どもの時の親や家族との、思いやりのあるコミュニケーションが原型となって、人生の幸不幸が決まるのだろう。
 三林和美

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