風の軌跡(182)

野生の時代へ逆戻り

 9月、風の季節。
「大崎の駅に降りたら海風が吹いていて気持ちが良かった。海の香りがした」と取材から戻った社員が言った。
「東京都心の温度を下げる目的で、東京駅周辺のビルが建て替えられて海風が流れてくるようになれば、大手町界隈も少しはしのぎやすくなりますかね」
今から期待している。

「私が作る建物は必ず、風の道を作りますよ」
ある建築設計者は言った。温暖化が今のように緊急課題と認識していなかった10年以上も前のこと。住宅よりはホテルやビルなどが専門らしく、米国で設計会社を開いていた彼は、日本のみでなく中国やグアムなど海外の仕事も多い。地域を問わず、建物の種類を問わず、風を室内にどのように流すか、その重要性を語った。
 室内での風の流れ方については、きわめて印象的な記憶がある。
潮見にあった某設計会社の本社ビルは、1階フロア全体が、天井高く、6,7メートルもありそうなベンジャミンの樹が壁側に何本も植え込まれ、その下に打ち合わせのテーブルと椅子が配置されていた。柔らかい風が頭上を流れていて、テーブルの書類から目を離して見上げれば、ベンジャミンの樹の葉が風に揺れている。
 風鈴やスダレで涼しさを演出した日本の心が、さわさわと揺れる繊細なベンジャミンの葉の演出に通じるようで、見飽きることが無かった。

 またまた若い世代が親や親族を殺す事件がおきた。情け容赦ない殺し方に、恐ろしさを通り過ぎて、異質な者を見るような心境になる。人の心や考え方は物で無いので、見ることはできないが、体の細胞や心臓などの器官に例えれば、壊れたコンクリートの塊のように憎しみで固まってしまうのだろう。一刻一刻呼吸をして血が通い、栄養を補給し、老廃物を集める、生きていくための必要な条件だが、心の生育も同じこと。悲しみや怒りなど、心を病ませる苦しい感情をどのように抑え、処理して浄化していくか、いわば心の免疫力が欠損しているのだろう。学生時代に、少し学生運動を聞きかじった友がいた。先輩から「怒りを簡単に爆発させるな、憎しみにまで高めよ」と教えられた、と言う。
 「怒りを憎しみに転換しない」のが、少しは教育を受けた者のたしなみ、と思っていたが、「怒りイコール憎しみ」の野生の時代に戻りつつあるのだろうか。
今日はお彼岸。遊びに出かける前にひとまずご先祖さまに合掌。

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