風の軌跡(106)

遠くに行きたい

子供の頃ヒットした歌の中にジェリー藤尾が歌った「遠くに行きたい」という曲があった。私もカラオケで時々歌ったことがあったが、とりわけ父が大好きな曲であった。

歌が始まると、酒を飲む手をやめてじっと耳を傾けた。うっすら涙ぐんでいるようにさえ見えた。

50代にもなって仕事でも家庭でもそれなりに重責を背負った父が、「どこか遠くに行きたい、見知らぬ街を歩んでみたい、見知らぬ人と出合ってみたい」などという言葉に感動するとは、そんな願いを心の奥に抱いているのか、と子供心に不安になった。しっかりと大地に根を下ろして大樹のように私たちを守ってくれるから安心していられるのであって、ふわふわと風に誘われて飛んでいく綿帽子のような存在であっては困るのであった。


今、記憶の中の親の年齢と同年齢を生きてみると、子供の頃に見えなかった親の気持ちが「まさに同感!」と理解できる。


仕事をしていると、それなりの責任も生じ、才能や素質はともかく年齢を重ねているだけで、若い人はある程度信頼してくれる。ありがたいことだが、人間には本質的に性格上の好みがある。仕事に家庭にそれなりの責任感を持ち、安定した生活に生きがいを覚える人と、反対に生きていける最低限の人間関係と責任で、自由にふわふわ生きてみたい、という人とでは、まったく正反対である。

フリーターなどの若者は後者かもしれないし、就職は公務員、大企業と安定した職場を望む人は前者かもしれない。

私は本質的に後者、もう少し才能があれば自由に生きられた、と思うのだが、生きていくためには、最低限の妥協で、ほんの少し根を張らなくてはならない。あきらめの気持ちで、ふわふわと綿帽子になって遠くにいける日を夢見ながら、今日の仕事に耐える。

> 現実と夢との使い分け、これは父親譲りなのかもしれない。


もっとも近年は大企業でもリストラで安定した職場を去らなければならない人が増えた。自分の場所を失った人は、どこか遠くへと新しい職場を探す。仕事でも結婚でも永久就職という言葉はから手形に近くなった。

しかしそれは人間世界だけではない。木も移動する。急激な温暖化で、平均気温が上がると樹木や植物も適温地へと動き始める。熱帯の樹木は日本への進出を図り、温暖地の樹木はせっせと快適な北の方へと胞子や種子を風に託しているに違いない。この暑さ、遠くに行きたいのは人間だけではないようだ。

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